「怖い絵」展
25日に、兵庫県立美術館の「怖い絵」展を見てきました。
ベストセラーになった本が展覧会になるとあって、友達がお盆に見に行った時はものすごく混んでいたそうです。
今回はさすがに並ぶほどではなかったけど、次から次へと人が来る感じ。

最初のうちは「セイレーン」など、「女が男を喰う」(もちろん魔物とか魔女よ)モチーフが続き、「どんだけドMなんだよ~」とか思っている余裕があったんですが、そのうちに本当に怖いと感じる絵に遭遇しました。
ドガが描いた戦争の絵です。
思わず目を覆いたくなるような虐殺のスケッチに、ドガの激しい憤りが感じられます。
本当に怖いのは魔物ではなく人間です。機会さえ与えられればどこまでも残虐になることができる人間こそが魔物です。
やっぱり、歴史的な出来事など、現実の人間を描いたものが一番身に堪えたなぁ…。
たとえば「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。
政治的状況ひとつでこんなに若く美しい娘が処刑されなければならないという哀れさ、運命の残酷さ。
(けれども、ジェーン・グレイ自身は、みずから首を差し伸べる台を探している姿から、必ずしも死を恐れていないように思えます。わずか9日で廃位されたとはいえ、女王として気高く、潔く散っていこうとしているのかもしれません。)
また、「メデュース号の筏」。
(これは模写でした。さすがにルーブル美術館の目立つ所に展示されている本物は無理だったか…)。
ただ見るだけでも辛くなるような絵ですが、描かれた出来事については、「怖い絵」の著者・中野京子さんが様々なところに詳しく書かれているので、その話を思い出しながら見ると、まさに身の毛もよだつ残酷さ。
貴族たちによって筏に打ち捨てられた人々はどんな恐怖の中にいたのか、また、身分が下だというだけで、人間は人間をこんな目に遭わすのかと思うと、本当に怖いです。

「怖い絵」の本はとてもおもしろいため、この展覧会も最初はホラー映画的な興味で見始めましたが(でも私、ホラー見れないんだよね…)、実際に生で見て、人間の心に潜む「悪」ってこんなに恐ろしいものなんだとまざまざ気づかされました。
一番肝心なのは、その「悪」を起こさないようにするにはどうすれば良いか?ということなのかもねぇ…。

P・S  展示されている「ジン横丁」にちなんで、ミュージアムショップにジン(酒)が売られていたんですが、貧困とアルコール中毒を真っ正面から描いたあの絵を見て、これを買う人がいるのだろうか?と思ってしまいました(笑)。
まぁ、実際に売り上げを期待しているというよりは一種の洒落?諧謔?なのかな。
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またまた嬉しかったこと
市川右團次さんのブログを読んだときに、「そういえば大阪(関西)での襲名披露っていつになるんだろう?地元だし、絶対やるよね」と思ってたら、松竹座のHPに、来年10月、市川齊入さんとの同時襲名披露との記事が!(数日間見ないうちに、いつの間にかUPされてました(笑))
もう、ホントに嬉しくて感激しました!
関西にゆかりの深いお二人が松竹座で同時にというのも感慨深いです。
市川家は江戸歌舞伎なれど、ここはひとつ、上方の演目もやってもらいたいですね。
新・右近くんは来るのかなぁ~(学校かな)。
夏休み文楽特別公演 第二部
夏の文楽は三部制で、一部が子ども・学生向けの鑑賞教室、二部と三部は名作劇場になっています。
私は二部の「源平布引滝」を見てきました。
去年、歌舞伎でも見たのですが、大好きな演目です。

「義賢館の段」は、義賢の胆力と勇気に感服。
この場面を見るのは初めてなんですが、前半は「○○実ハ△△(○○さんの正体が実は△△さん)」というのがあって、古典らしくて面白い。
そして、義賢と行綱、双方とも勇気と知恵のある男二人の会話のおもしろさ!しびれますね~(それも太夫さんが一人でやってるんだからスゴイ!)。
あと、最初のほうに義賢の娘・待宵姫と奥方(後妻)・葵御前が出てくるのですが、人間以上の柔らかな動きに魅了されました。
後半は妻とも子とも別れ、館に一人残って討ち死にする義賢が悲しくも勇壮。
歌舞伎のような「仏倒れ」などはないですが、壮絶だったな。

続く「竹生島遊覧の段」は琵琶湖に浮かぶ船が出てくる珍しい場面。
家出して義賢の館に仕えている夫を探しに行ったら、夫は実は源氏の武士だったり、いきなり平家が攻め込んできて、義賢に奥方(しかも懐妊中)と源氏の白旗を託されたり、小まん(とその家族)も大変だなと思いますが(いや、大変どころの騒ぎじゃないよ)、男勝りな小まんが命をかけて琵琶湖を泳ぎ渡ろうとする健気さに胸が痛くなります。しかも、白旗を手放さなかったために実盛に腕を切られて死んでしまうんですから、気の毒でしかたありません。
それにしても、豪華な船の上で話が進んでいったり、泳ぐなど動きのある場面のダイナミックさは人形ならではだなと思います(映像というジャンルのなかった江戸時代の人は今以上にそう感じたのではないでしょうか)。

「九郎助住家の段」は、歌舞伎で見た時は実盛が主役だったのですが(なにしろ歌舞伎ではこの場面に「実盛物語」という外題がついてるので…)、文楽では、登場人物が複雑に交錯する中で、それぞれの物語を生きているという感じがしました(後半は明らかに瀬尾十郎が主役だよね)。
実盛は、前の場面で源氏方と知って思わず小まんの手を切り落としてしまったり(彼は元は源氏の家来で、源氏の勢力がほとんどなくなった今は平家の家来)、完璧な人間ではないけど、小まんの息子・太郎吉に申し訳ない、なんとか償いたいという気持ちがあふれていて、通しで見たことによって実盛の人柄がよりよく分かりました。    
太郎吉に武士としての名前を与え、いつか戦場で会いまみえようというのも、一種爽快な、武士らしい解決のしかただと思います。
そして、瀬尾十郎。
最初は憎々しげに見えるこの老人が、若い日に心ならずも捨ててしまった亡き娘・小まんを思い、その息子、つまり自分の孫のために喜んで身を捨てる。そこに涙が止まりませんでした。
この過剰ともいえるほどの愛は、日本の古典、とりわけ文楽ならではのもので、「なんか強引な展開」と思いつつも(笑)泣いてしまう(外国の方から見たらどうなんでしょう?どこかシェイクスピア作品のように思うのかしら?)。
琵琶湖のほとりの民家でおこるドラマチックな物語は、壮大さの中に独特の哀感があって、そこが忘れがたい作品になっていました。
七月大歌舞伎
もう8月になってしまいましたが、先月の終わりに松竹座で「七月大歌舞伎」を見てきました!
昼夜ともに、まさに夏芝居。思わず背筋が凍るような殺人劇。
舞踊二つはちょっと「正月か?」と思ったけど(笑)、松竹座20周年をお祝いしているのかも。

まずは昼の部「夏祭浪花鑑」。
染五郎さんが初役で団七九郎兵衛を演じました。
その当時の人々のリアルを見せる上方のお芝居ですので、ただかっこいいだけでは演じられない、弱さも気苦労もある団七。
染五郎さんの団七には、強欲な舅を思い止まらせるため、金を持っているように見せかけようと必死で石をかき集める様子に、人間味や哀れさを強く感じました。
一寸徳兵衛には松也さんという清新な配役。
今回は「長町裏の場」で終わっていたので、終盤の徳兵衛の見せ場がなくて残念だったのですが、最初の住吉で鳥居から現れた姿のかっこよさに思わず唸りました。
演技的には、声が少し聞きとりにくかったものの(夜の部ではハッキリ聞こえていたので、昼は役柄を意識するあまり無理して声を低く作りすぎたのかも…)、鉄火肌で感情豊かな人物像をしっかりと出していたと思います。
孝太郎さんのお梶は、さすがに何度も染五郎さんの相手役を演じているだけあって息もぴったり。止め女の気丈な様子がよかった。優しいだけではない、しっかり者の女房を好演していました(お梶はあの強烈な父親と団七の間に立って実によくやっていると思います(なんかえらそうだね、私…))。
橘三郎さんの義平次は以前も見ましたが、さらに欲にまみれた感じを出し、かなり突っ込んで演じていて、ほんとにすごいなと思います。
また、表面的には人当たりがよいという面もあって面白いです。
それにしても、あんなに泥にまみれて息は苦しくないのかとつい気になってしまいますね。
鴈治郎さんの釣舟三婦の人情味、気概はもうお手の物と言っていいでしょう。
この人の三婦を見ると「ああ、『夏祭』を見てよかったぁ~」という気分になります。
その三婦の女房・おつぎを演じる竹三郎さんが休演明けで元気になっていて嬉しかった!
いかにも上方の庶民の女房という感じがさすがです。
時蔵さんのお辰は、まず涼やかさと若々しさに目を奪われました。
そして、彼女の気性の激しさや正義感の強さ、気風の良さが時蔵さんの演じる女形にぴったりだな~と感心しました。
若手の2人。
萬太郎さんの玉島磯之丞は、最近こういう役をたくさん演じるようになって、つっころばしの柔らかさが板についてきたな~と思いました。
髪結床の下剃三吉を演じる廣太郎さんは、何気ないところに、一般の客だけではなく侠客や赦免になった罪人も相手にする土地柄を感じさせてなかなか良かったです。

「二人道成寺」は、時蔵さんと孝太郎さんが華やかで美しく、入れ代わり立ち代わり現われて様々な舞を披露するのですから、そりゃーもうドリーミング!
けれど、ただ美しいだけではなく、終盤の振付に、蛇体となった清姫の思いが籠っているように見えました(しかも二人なので、より強くそれを感じるんだよね)。
それ以外の場面でも、舞の上手さだけでなく表現のすばらしさに目が釘付けになりました。
私は詳しいことは分からないのですが、動きの一つ一つにちゃんと意味があるように感じられました。
上方の若手勢揃いの所化たちは生き生きと楽しく、また一段の成長を感じました。
所化もまた、なんとなくそこにいるのではなく、きちんと意味があると感じられる存在のしかただったと思います。

夜の部の最初は「舌出三番叟」。
祝い事などで演じられる「式三番叟」よりはちょっとくだけた感じの三番叟なのですが、おごそかで優美な雰囲気がありました。
鴈治郎さんの三番叟は福々しく、どこか博多人形を思わせるようなはんなり感が漂っていて、祝祭の風情にぴったり。
壱太郎さんの千歳は女千歳でめちゃくちゃキレイ!優雅な舞にうっとりでした。

そして、ラストは「盟三五大切」。
赤穂浪士をモデルにした塩冶浪士である男が、女に騙され、仇討のために貯めた金を取られ、その恨みに何人もの人々を殺めるという陰惨な物語ですが、作中にあふれているのは愛を弄ばれた主人公・源五兵衛の悲しみ。
そして、作者・鶴屋南北が投げかける「忠義って何だろう?」という疑問。
江戸時代は今よりももっと「物言えぬ時代」。でも、やっぱりこういう疑問は人々の心の中に湧いてたんだろうな~と感じました。(それにしても、こんな本を書いてよく南北さんの首が飛ばなかったなと思いました。)
そういったものも含めて、建前ではないリアリティ、登場人物たちの複雑な感情は、江戸の作品ながら上方狂言に通じるものがあります。
仁左衛門さん演じる源五兵衛は、仇討に加わりたいのに芸者に入れあげてどーしようもない人だと思うけど(笑)、純情な男の一途さが切ない。
騙されて金を取られたこと以上に愛を裏切られた苦しみから、どこまでも小万を追いかけていって、ついには殺してしまうのですが、彼女の腕の「三五大切」の入れ墨を見、更に夫・三五郎との間に子どもまでいることを知って、彼女の心が自分のものでないと実感してしまったショックはどれほどだったかと、こちらも胸が痛くなる思いでした。
染五郎さんが昼夜共に大活躍!三五郎は悪いことをしているんだけどかっこいい。
また、小万に対するちょっとすねたような口ぶりがいい。彼はきっと、小万の揺るぎない愛情に甘えているんでしょう。
忠義のため(そして、父からの勘当を解くため)に金を集めようとする三五郎は、悪知恵が働くあまり、皮肉な結末を迎えてしまうわけですが、「忠義のためならどんな罪を犯してもいいのか?それは本当に忠義と言えるのか?」「そこまでしなきゃいけない忠義っていったい何なんだ?」という南北の声が聞こえてきそうでした。
時蔵さんの小万ことお六。「妲己」の異名を取り、していることだけ見たら悪女なんですが、惚れた三五郎のために、ついつい男を騙してしまう 悪女になりきれない女。
源五兵衛に子どもを殺されそうになって、「二人が仲の子」と言う台詞に、心の底から三五郎に惚れてしまってるんだなーと思いました。
このお芝居は、登場人物が多く、全員がしっかり頑張らないと成り立たないのですが、橘三郎さん、松之助さんをはじめ皆さんの活躍ぶりが嬉しく、みんな上手くておもしろかった(人が恐怖を感じた時にどう振る舞うか、それを強く感じさせた仁三郎さんが印象に残っています)。
だけど、おもしろうてやがて悲しき…。皆が上手いからこそ、やはりこの物語は陰惨で苦しくて悲しいものだと感じました。
けど、「本日はこれぎり」でちゃんと現実に戻り、こちらの気持ちも救われてしまうんだから、歌舞伎って不思議。
必要以上に後味を悪くさせないのも、大衆エンターテインメントである歌舞伎ならではなのかもしれません。