「正しく心配する」ということ
震災から2週間、今日も寒さが身に堪えますね。
関西ですらこうなんですから、東北・東日本はさぞかし寒いでしょう。
そう思うと、暖かい衣服・食事をすぐに渡すことのできない自分が悲しくなってきます。
私だけでなく、きっと日本中、皆同じ思いなのでしょう。

昨日、新聞を読んだら、いろんなものに惑わされず「正しく心配する」ことが大切だと書かれていました。
風評に流されての買い占め・買い溜め、あるいは特定の産地の野菜は買わない…など、そういったことは誰のためにもならないよという内容でした。
遠く離れた関西でも、買い占めや不買などが起こっているのはすごく悲しいことです。
最近は「どこで何をしようと何を言おうと自由だし、自己責任だからいい」という考え方がもてはやされている気がしますが(私も無自覚のうちに、そういう行いをしている気がします。反省…)、今回の震災では、個人の行動や考え方が他の人たちに直接影響を及ぼしているので、久々に「一人ひとりに自覚が必要」という気がしました。
昔、小学校の卒業式の呼びかけで「自分の行動に責任を持とう」というのがあったんですが、私ももう一度、12歳当時のまっさらな心に戻って、どういった言動が「正しく心配する」ことなのか考えてみたいと思います。
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