皇太后ゾフィー
ハプスブルク家関連の本を読んでいると、終わり頃に必ず出てくるのは、美しさとエキセントリックさで、もはやアイドル的人気の皇后エリザベート。そして60年以上にわたって帝国を統治した皇帝フランツ・ヨーゼフ。
この夫婦のことはほとんどの人がよく知っていますが、二人の背後にあってあまりどういう人であったか知られていないのはフランツ・ヨーゼフの母ゾフィー。
というわけで、今回は、私が興味を持ったゾフィーに関する事柄を、箇条書きで紹介してみたいと思います。

①双子の家系
後にオーストリア皇帝の母となるゾフィーは、1805年、バイエルン王マクシミリアンⅠ世(ゾフィー生誕時はバイエルン選帝侯)と後妻でバーデン公女であるカロリーネとの間に生まれました。
異母兄妹を含めると第10子で6女です。
双子の姉に、後にザクセン王妃となるマリア・アンナがいますが、特筆すべきは、彼女らの4つ上の姉も双子。
そして、母カロリーネも双子!
双子の家系なんですねー。
マリア・アンナを含むゾフィーの兄弟姉妹の話も調べてみると面白いんですが、それはちょっと置いといて、ここでは異母兄にエキセントリックな王ルートヴィヒⅠ世(ルートヴィヒⅡ世の祖父)がいたことのみ記しておきます。

②ロマンス?
ミュージカル「エリザベート」等では厳格で怖い姑として描かれるゾフィーですが、若い頃には世間をあっといわせる恋の噂がありました。
お相手はライヒシュタット公。なんと、あのナポレオンの遺児です。
ライヒシュタット公は、ナポレオン失脚後、母の実家であるハプスブルク家に引き取られ育てられていました。
当然、ナポレオン派の残党に担ぎ上げられる心配がありましたので、公爵の位を授けられ何不自由なく暮らしてはいても、いわば「格子なき牢獄」にとらえられている状態でした。
しかも母は遠い領地に住んでいる上に新しい恋に夢中。息子を顧みることはありませんでした。
そんな孤独な彼の心を癒したのが、6歳年上で美しく聡明なゾフィーでした。
彼女はオーストリア皇帝フェルディナントⅠ世(公の叔父にあたる)の弟フランツ・カール大公に嫁ぎ、病弱で子供がのぞめない皇帝に代わって跡継ぎの男子を産むという使命を担っていました。
しかし、なかなか子に恵まれず、比較的自由な実家ヴィッテルスバッハ家に比べて厳格なハプスブルク家の家風に戸惑っていたこともあり、肩身の狭い思いをしていました。
「よその家」で孤独を感じていた2人は意気投合。よく一緒にオペラ鑑賞に出かけたり、馬車で散策したりしていたそうです。
2人の親密さは当然醜聞となりますが、後に「宮廷でただ一人の男」とまで言われるほど肝の据わったゾフィーはまったく動じることがなかったそうです。
ライヒシュタット公が病に倒れると、ゾフィーは献身的に看病しました。ライヒシュタット公はそんな彼女を「優しい美の天使」と呼んでいたそうです。
しかし、看病の甲斐もなくライヒシュタット公は21歳で死去。
彼の死の少し前に生まれたゾフィーの次男マクシミリアン大公は、実はライヒシュタット公の子なのではないかという噂があります。
真偽はいまだに不明ですが、後年、マクシミリアンは「英雄ナポレオンの孫」という噂に魅了されたかのように、傀儡政権のメキシコ皇帝の座に着き、遠い異国で非業の死を遂げています。

③料理好き
落日のハプスブルク家の屋台骨を支えるため、フランツ・ヨーゼフら子供たちを厳しく教育し、自らも政治の表舞台で活躍したゾフィーでしたが、折にふれて子供たちに手作りのお菓子をふるまう優しい母でもあったようです。
バイエルン地方の一般的な家庭菓子であるプラムのタルトなどが得意だったそうです。
また、ハプスブルク家伝統の料理・菓子のレシピを集め、整理したのも彼女で、そのレシピは現存しているそうです。

④最期を看取ったのは…
息子フランツ・ヨーゼフの妻エリザベートでした。
終生そりの合わぬ嫁姑であったように思われていますが、2人は血を分けた伯母と姪。共にバイエルンから嫁いだ者どうしでした。
どんなに厳しくとも、どんなに意見が合わなくとも、奔放な少女に過ぎなかった自分を一人前の皇后に育てようとしてくれたゾフィーはエリザベートにとって「第二の母」であったのかもしれません。


いかがでしょう?まるで芝居が一本書けそうなくらい濃い人生ですね。
ヴィッテルスバッハ家出身としては決してエキセントリックではありませんが(あの家は不思議な人多すぎ!)、パワフルに一生懸命に駆け抜けたゾフィーの人生もとても愛おしいものだと思います。
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