たとえ今は 夢のように思えても
70回目の終戦記念日が来ました。
ここ一カ月ほど、戦後70年の節目として、テレビや新聞やインターネットなどで様々な特集が組まれてきました。
そして、それらを見ている私の頭の中には、宝塚で先月見た「王家に捧ぐ歌」の主題歌「世界に求む」の歌詞が流れていました。
とくに、舞台を見た時から印象に残っていた「人みな ひとしく認めあって」という歌詞が胸に強く響いてきます。
世界中に生きている私たち人間は、もちろん一人ひとり違う存在です。
けれども、その「違い」に優劣をつけることは、争いが起こる第一歩ではないかと思います。
「違う」からといって相手を見下し、憎み、「傷つけてもいい」「命を奪ってもいい」ということになると、それは戦争です。
同時に、自分が見下されたり傷つけられたりするのを恐れて、武器を持ち、相手を傷つけ、命を奪うことも戦争です(「王家に捧ぐ歌」の物語の中にもそういうことがありました)。
そして、それらを正当化してしまうのも恐ろしいことです。

…今現在、「人みな 等しく認めあって」ということは「きれいごと」とされがちです。
「世界に求む」の歌詞の中でも、「たとえ今は 夢のように思えても」という言葉が出てきます。
たしかに、「ひとしく認めあって」「おたがいを許せるように」ということが本当に実現するのか?するとしても、それには途方もない時間がかかるのではないか?と思ったりもします。
けれども、命を懸けて「戦いに終わりを」と呼びかけたラダメスやアイーダのような思いが、人の心のどこかには必ず残っていると私は信じたいです。
信じることが、私にとって、平和への第一歩だと思います。
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